津軽篇・江戸時代/第34話

黒石藩 津軽地方のほぼ中心に位置している黒石市中町こみせ通りは日本の道百選に選ばれており、藩政時代の面影が残されています。そこから南の方角へ進むと、明暦2年(1656)、弘前藩2代藩主・津軽信枚の次男、信英(のぶふさ)によって築かれたとされる黒石陣屋があります。信英は、4代藩主・信政を教育し、後見役として藩政を指導し、黒石に陣屋を構え、5千石を領して黒石藩の基礎を作った人物とされています。黒石陣屋跡には、空堀跡が残っています。
 近くには、黒石津軽家ゆかりの黒石神社があります。津軽信英が弘前城で死去し、寛文2年(1662)、黒石陣屋の隅に霊屋を建立、埋葬したのが黒石神社の始まりです。神社には2対の石燈籠が建立されています。左手の石燈籠は、延宝2年(1674)に信英の跡を継いだ黒石津軽家2代当主・信敏が奉納したというもので、元禄時代以前の歴史資料としては類例がない貴重なものです。信英の13回忌では、弘前4代藩主・信政とともに参拝したとの記録があり、釣燈籠も奉納したといわれています。右手の石燈籠は、宝暦11年(1761)に建立。第5代当主・著高(あきたか)が、信英100回忌に奉納したといわれています。また、県指定文化財の御神刀、金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵 (きんなしじぼたんもんちらしまきええふたちこしらえ)も奉納されています。
 弘前津軽氏の分家として本家を強力に補佐し、黒石の繁栄を支えてきた黒石津軽家。現在も多くのものが残され、大切に守られているのです。(金さん)

〈参考文献〉青森県の歴史散歩  黒石市公式ホームページ








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動画

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コラム こみせ通り

 動画でも紹介されているこみせ通りは、藩政時代の面影をそのままに現代に残している数少ない町です。「こみせ」とは、「小見世」と書き、居宅や店舗の軒先につくられた、いわゆるアーケードのことを指します。意外なことに、このアーケード部分の土地は、私有地となっています。町ぐるみで、この景観を維持しています。  かつては、商店街としての機能はもちろんのこと、子供の遊び場であり、用水路は食器などの洗い場などに活用されていました。  現在は、このような生活の場と商売の場が融合した環境は、なくなりつつあります。ですが、ここに地域の商店街を復興させるためのヒントがあると考えることができるのではないでしょうか。(アラン・スミシー)

参考文献 こみせ通りの歩き方 黒石市ホームページ

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