津軽篇・江戸時代/第30話

青森港 開港 青森県青森市は、港と河川から発展していった街です。寛永元年(1624)、津軽信枚が森山弥七郎に命じて、青森港を開きました。その目的は、米穀類の江戸、松前方面への回送でした。その他に、青森港開港にはもう一つの目的がありました。それは、松前街道と羽州街道が合流する地、油川に住む南部派の商人らが、領主である津軽家に馴染まずに反発を続けたため、交易の利権を奪い、油川の湊の機能を制限することが真の目的だったとされています。
 寛文4年(1664)には油川での規制が緩和され、油川の人口も増えていきます。そこで、酒造業で財を成す商人が生まれました。そのうちの一つが、今も創業を続けている西田酒造店です。
 また、油川地区にある浄満寺の境内には、青森港開港を手掛けた森山弥七郎の供養碑があります。それは、江戸時代初期の青森を物語る貴重な市指定文化財です。浄満寺には、造仏僧・円空が残していった仏像もあります。
 青森開港も最終段階を迎えた寛文11年(1671)御仮屋が建設されました。御仮屋には城代が置かれましたが、貞享3年(1686)には城代は置かれなくなり、青森町奉行の管轄になりました。
 青森港は現在、木材や日用品を運ぶ運送船や、客船もあり、大きな港として発展しました。青森は昔も今も海と切り離せない関係になっているのです。(メガネ)

〈参考文献〉つがるの夜明け 上巻

油川は中世から外ヶ浜を代表する湊町として栄えていました(青森市油川港)
西田酒造店(青森市油川)
浄満寺(青森市油川)
浄満寺に所蔵されている円空作の仏像








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コラム 青森の顔アスパム

 アスパムは青森市民は全員が知ってると言っても過言ではない建物です。建物の形は三角形で高さが76メートルあります。 青森県の産業、観光物産、郷土芸能などを紹介し、青森を訪れる観光客などに青森を知ってもらう、「青森の顔」となっています。 アスパムの1Fはお土産屋さんがメインとなり、イベントホールなどもあります。2Fは青森の名物「ねぶた」や「こぎんざし」など、青森の郷土品が展示されています。13Fは展望台となっており、青森の景色が一望できます。今でも、県外の方や外国の方もアスパムに観光に来ることもあるので、これを見た方で青森に来ることがあれば是非寄ってみてください。(メガネ)

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