津軽篇・江戸時代/第27話

城下町 仲町武家屋敷 弘前城は平成23年に築城400年を迎えました。城本体は慶長16年(1611)に完成しましたが、弘前城を囲む城下町は、慶長8年(1603)に津軽為信が計画したものです。軍事・政治・経済・文化の機能に重点が置かれ、家臣団、商工業者、寺社が集められました。町割りは家柄や職業別によって配置され、侍屋敷・町屋・寺社に区分されました。仲町地区には藩政時代に建築された武家住宅が保存され、当時の武士の生活を知ることができる貴重な建物になっています。昔ながらの門や板塀、生垣などが伝統的な街並みを形成していることから、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けています。
 旧伊藤家住宅は藩政時代に代々藩医を務めた伊藤家の住宅として、今から200年前に建てられており、中流階級の武家の構造や特徴を残しています。座敷は簡素ながらも剛健な造作をした床と違い棚を組み合わせ、当時の落ち着いた住宅空間を生み出しています。
 旧伊藤家裏側、旧梅田家は幕末に建てられた建物で、建築年及び当初の居住者を特定できる墨書が残されており、江戸時代の建築物では非常に貴重なものです。今から210年前の武士の住居だった旧岩田家は、数回の改築はあるものの柱や小屋組み、茅葺屋根など、ほぼ建築当初のまま残っています。武家住宅の特徴のひとつとして、式台の玄関から生活空間を通らず座敷へ行くことができます。
 弘前城を囲む城下町が残る弘前市は、町の名称や町並みからその背景を知ることができる古い歴史が残る地域です。(芳賀)

〈参考文献〉弘前城物語  つがる巷談
      私説 弘前城ものがたり-知られざる築城の謎-
      弘前城築城四百年 城・町・人の歴史万華鏡 
      弘前の文化財
      青森県史資料編/近世1 
      近世北奥の成立と北方世界








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コラム 弘前城

 弘前城は、津軽為信によって計画されますが、病死により、2代藩主・信枚により築城されます。慶長15年3月から翌年の16年5月の間で完成し、1年2か月という驚異的な速さで建てられた弘前城は、築城に携わった人々の努力が集結されています。 大工などの職人は、江戸や敦賀から、数百人も集められました。石垣の石材は、和徳城、大光寺城、浅瀬石城などの、かつての為信が攻め落とした敵の城から集められ、本丸入口にある鶴ノ石、亀ノ石といわれる大岩は、2日がかりで和徳城から運んだものと伝えられています。数トンもあるという石は、土そりに積み、数百人の人が綱を引いて運搬したそうです。 建築用材は、碇ヶ関、蔵館などの山から伐採し、平川を流して運んだそうです。一説によると、この時の伐採により、大鰐、石川周辺の山は禿山になってしまったそうです。築城にかかる木材の量の膨大さがうかがえます。 鉄材は、南部の田名部から調達し、更に、南部から鉄吹き職人30人を増員し、蟹田付近で砂鉄を精錬したそうです。 現在、弘前城は国の重要文化財として指定されており、一般公開されている市民公園となっています。明治36年(1903年)以降、園内には桜の植樹が行われ、花見の時期がゴールデンウィークと重なることもあり、毎年行われる弘前さくら祭りには、日本全国からの観光客で賑わいをみせます。(芳賀)

出典:弘前城物語 工藤英寿    つがる巷談 吉村和夫  私説 弘前城ものがたり-知られざる築城の謎-田澤正
    弘前城築城四百年 城・町・人の歴史万華鏡 長谷川成一  弘前の文化財 弘前市教育委員会

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