津軽篇・江戸時代/第26話

弘前城の鬼門・裏鬼門 城下町として繁栄した弘前の街には、風水の知識が重視されていた頃の名残が残っています。一般に、城の北東を鬼門、南西を裏鬼門と呼びます。弘前城の風水は沼田面松斎が定めたとされ、その墓は、弘前市新町の光明山誓願寺にあります。誓願寺は4度の火災に見舞われていますが、山門だけがその災難を逃れています。上の屋根には、一羽の鶴、そして下の屋根には2匹の亀がついています。この様子から「鶴亀門」とも呼ばれており、国の重要文化財に指定されています。そして、誓願寺の奥には、その風水を定めた面松斎の墓碑が建っています。
 面松斎が定めた弘前城の鬼門には、押さえとして、弘前八幡宮が建てられました。弘前八幡宮は、弘前藩2代藩主・津軽信枚が現在の場所に勧請したと伝えられています。極彩色に彩られた弘前八幡宮の唐門は、屋根の四隅が反っており、当時としては珍しい鮮やかさがあります。唐門の奥に建てられた本殿とともに、桃山時代に建てられたといわれており、国の重要文化財に指定されています。
 そして、禅寺が並ぶ禅林街の奥に、裏鬼門の押さえである長勝寺があります。長勝寺は、津軽家最初の菩提寺で、この山門も国の重要文化財に指定されています。
 現在も、弘前の中心部には弘前城があり、その鬼門・裏鬼門の押さえも現存していることになります。弘前の街が今もなお、青森県の主要都市として繁栄しているのは、長い年月をかけて風水の力によって守られているからでしょうか。(アラン・スミシー)

〈参考文献〉青森県の歴史散歩

誓願寺の山門は国重要文化財に指定されている(弘前市新町)
山門の懸魚が鶴と亀の形に作られていて「鶴亀門」とも呼ばれている
境内奥には沼田面松斎の墓がある
弘前八幡宮








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コラム 弘前城と風水

 弘前城は、四神相応(しじんそうおう)の地を目指して築城されました。四神相応というのは、風水の考え方をもとにしているもので、繁栄を約束された地形を指すものだそうです。
 四神とは、東西南北からの災いを鎮める神獣のことで、東の青龍・西の白狐・北の玄武・南の朱雀のことを指します。これを弘前城に当てはめると、東の土淵川・西の西浜街道・北の亀の甲町・南の南溜池となります。
 弘前城は、現在でも桜の名所として全国に知られた観光地になっていますから、風水というのも意外と効果があるものなのかもしれません。(アラン・スミシー)

参考文献 青森県史資料編近世�

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