津軽篇・江戸時代/第24話

浅瀬石城 浅瀬石(あせいし)城跡は青森県黒石市の黒石I.C.から数分の場所にあります。付近には農業用水や上水、発電を支えている浅瀬石ダムがあり、りんご園が広がっています。
 津軽為信が豊臣秀吉から朱印状を受け、公に津軽領主となった際、新たな問題が生まれました。浅瀬石11代城主・千徳政保の待遇に関する事です。浅瀬石城は南部氏の津軽支配の拠点として機能していたといわれています。永禄4年(1561)、浅瀬石10代城主、千徳政氏(まさうじ)は、勢力をのばしてきた為信と同盟を結びます。文禄3年(1594)、為信は政保を堀越城に招き、津軽の半領を授けると申し渡しました。しかし政保は結果的に家臣並みの扱いを受けた事を不満に思い、反旗を翻して為信と浅瀬石城入り口の五輪沢で戦うこととなります。浅瀬石軍は敗退し、浅瀬石城も落城しました。
 千徳氏の苦境を知った菩提寺である神宗寺の常縁和尚は、自ら山伏姿となり加勢しましたが捕らわれそうになったので、断崖から浅瀬石川の濁流に身を投じて生涯を閉じたといわれています。村人たちは悲しみこの川原に集まって、供養をしながら即興の唄を歌ったそうです。この時の唄が『じょんから節』といわれています。浅瀬石川付近には「津軽じょんがら発祥の地」として石碑が建てられています。
 浅瀬石城跡向かいの舘神社には天照大神と千徳家代々の御霊が祀られています。現在でもこの地域を見守っているのかもしれません。(金さん)

〈参考文献〉浅瀬石沿革史「常住不滅」
      浅瀬石郷土史、ふるさとの歴史








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コラム 現在の浅瀬石

 現在の青森県黒石市浅瀬石には、浅瀬石ダムがあります。大雨が降ったときにダムに一度水を溜める治水、河川流量を確保するための利水容量、弘前市、黒石市、五所川原市、平川市、青森市、藤崎町、板柳町、鶴田町、田舎館村といった市町村への上水道の供給、さらには水力圧電といった地域住民の暮らしを守り豊にする事を目的としています。
 浅瀬石ダムの近くには「津軽こけし館」があります。こけしは東北地方のみに存在し地域によって形態や模様が異なる点が特徴です。ここでは津軽系こけしを扱っており伝統と歴史を学ぶ事ができます。
 浅瀬石隆盛時代といわれた7代目城主・千徳政久のとき、近江景(江戸時代初期、滋賀県にある琵琶湖周辺の代表的な名勝8カ所を選んだもの。屏風絵や版画の題材として流行した)になぞられて選んだ「浅瀬石八景」というものがあります。時代の変化によって周囲の情景も大きく変容しましたが、現在は公募によって選定された新しい浅瀬石八景となっています。

・浅瀬石八景
1、門前寺の糸柳
2、高屋敷の山ざくら
3、獅子が倉の岩つつじ
4、つるヶ沢の松あらし
5、舟渡りの秋の月
6、かくれ沢の暮れの雪
7、ちぶが沢の三滝
8、浅瀬石川の清流 以上のように浅瀬石には歴史を学ぶ名所や人々の生活を支える施設が存在しています。

(金さん)

参考 浅瀬石ダム公式ホームページ 津軽こけし館公式ホームページ

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