津軽篇・安土桃山時代/第21話

津軽為信と大灯篭伝説 青森ねぶた祭は、毎年8月2日から7日にかけて青森市で開催される夏祭りです。毎年およそ300万人以上の観光客が訪れ、1980年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 その起源にはいくつかの説があり、坂上田村麻呂が蝦夷征討の戦場において敵をおびき寄せるために作った大きな人形がねぶたの起源になったという説が一般的に良く知られています。なかには津軽為信が関わったとされる説も存在します。
 お盆の時期、京都滞在中の津軽為信は、家臣の服部康成に、二間四方の大燈篭を作らせ、都の人々に見せたといいます。その大燈篭がねぶたの起源だという説です。
 その服部氏の菩提寺が青森県弘前市茂森の禅林街にある安盛寺です。服部康成は弘前藩の家老で、関ヶ原の戦いにおける大垣城の戦いで津軽為信に召し抱えられ、武功を挙げたといいます。
 安盛寺には、為信、信枚、信義と3代の弘前藩主の肖像画があります。これらの掛け軸の中では、為信像の画風が最も優れており有名です。為信像は服部康成が寄進したもので、康成は同じものを三幅描かせ、津軽家と近衛家に一幅ずつ、そして残りの一つを自分の菩提寺である安盛寺に収めたとされています。
 津軽為信が服部康成に作らせたという説のある「ねぶた」。東北最大の火祭りといわれ、初夏になると市内のあちらこちらからねぶた囃子が聞こえ、青森は夏本番を迎えることとなるのです。(サト)

〈参考文献〉青森県史資料編/近世1
      青森ねぶた誌
      安盛寺提供資料








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コラム ねぶた師の一年

 日本の三大祭りの一つともいわれるねぶた祭り。その歴史も長く、毎年色鮮やかなねぶたが青森市内を凱旋します。ねぶたは、職人が一年がかりで作る集大成ともいえる素晴らしい作品です。
 ねぶた師は、その年のねぶた祭りが終わると、すぐに次の年の構想を練り始めます。題材は、歴史物が多いため、様々な文献や資料を調査し、下絵を制作します。題材が決まり次第、手足などの細部をあらかじめ作っておきます。そして、下絵をもとにしながら針金で形を作っていきます。ねぶた作りはねぶた小屋で行われます。以前は地区や団体ごとにねぶた小屋を用意しましたが、現在では、ねぶた制作作業もしだいに観光要素の一つとなり、見学しやすいようにアスパムのラッセランドにまとめられています。下ごしらえが終わると、角材の支柱をベースに、ねぶたの骨組みを作ります。針金やタコ糸を使って、細かく複雑なかたちを作り上げていきます。次に、1000個もの電球や蛍光灯を使い、ねぶたを中から照らします。柱の影ができないように工夫をこらしています。それから、紙貼りが行われます。針金に紙を貼るのは専門の人達です。曲線に合わせて紙にふくらみをもたせたり、熟練の技が要求されます。
 さらに、書き割りといって、顔や輪郭、着物のしわなどを墨で書きいれていきます。太さやかすれなど、力強い筆の表現がねぶたの迫力を生み出します。ろう書きといって、パラフィンを溶かしたものを使い、色を塗り分けたり、すかし模様を作り出します。最後に色付けをし完成となります。染料や水性顔料などを使い、ハケや筆、スプレーなどで彩色します。
 ねぶたを作るには、相当な技術が必要とされます。特に制作者として優れている人には、「ねぶた名人」の称号が与えられ、現在まで、初代北川金三郎を初めとした、4人の名人が誕生しています。 (サト)

出典 青森ねぶた 1992

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