津軽篇・安土桃山時代/第18話

大浦為信、田舎館城攻略

 青森県南津軽郡、田舎館村役場の東側に田舎館城跡があります。田舎館城は、文明7年(1475)、浅瀬石城主・千徳氏の分家・千徳貞武が築きました。この頃、津軽地方は南部氏の支配下にありました。
 永禄4年(1561)、浅瀬石城10代城主・千徳政氏は南部氏から独立し、津軽の統一を果たすため、大浦為信と「永禄の約」という軍事同盟を交わしました。この「永禄の約」とは、共同して他の南部氏の諸城を攻撃し、津軽統一後は「大浦氏」と「千徳氏」で二分して支配するという内容でした。しかし、田舎館城5代城主・千徳掃部(かもん)政武は南部氏への義を貫いたため、千徳氏本家と大浦氏の双方と対立することになりました。天正13年(1585)、千徳政武の居城・田舎館城は、千徳氏本家・政氏と大浦為信に攻撃され、政武は家臣とともに討死しました。
 田舎館城の近くには生魂神社があります。生魂神社は、坂上田村麻呂将軍が建立したと伝えられています。天正13年 (1585) 兵火により焼失したため、津軽為信が仮殿を建立しました。更に津軽信牧により四間四面に再建、鬼板に津軽藩の紋である「卍」を付けましたが現在に至るまで社紋として用いられています。ヤマコに在るこのサイカチの大樹は天正13年 (1585) の落城の際、300余名の城兵を埋葬した時の供養樹と伝承されています。
 こうして、田舎館城を攻略して、津軽統一に近づいた為信は、この後千徳氏本家と不和になり、再び戦となるのです。(メガネ)

〈参考文献〉つがるの夜明け 
      青森県史近世1 



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コラム 生魂神社

 生魂(いくたま)神社は、大同2年 (807年) 4月4日坂上田村麻呂将軍建立と伝えられます。 天正13年 (1585年) 5月19日兵火により焼失したため、津軽為信公が仮殿を建立。更に元和2年 (1616年) 津軽2代藩主信牧公により四間四面に再建、鬼板に津軽藩の紋である卍を付けましたが、 現在に至るまで社紋として用いられています。 サイカチの大樹は信枚公の奨励によって植えられたといわれています。 果実は石鹸の役をし、若芽は食用となり、また「再勝つ」に通じるからと地元では敬われています。 現在の生魂神社では、お盆の時期になると宵宮を開きます。 様々な夜店を見ることができますが、近年、黒石名物として注目されている「黒石つゆ焼きそば」を販売する店もあるとか ここ以外でもつゆ焼きそばはありますが、歴史に興味がある方は、機会がありましたら立ち寄ってはいかがでしょうか。(メガネ)

参考文献 津軽の夜明け

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