津軽篇・安土桃山時代/第13話

大浦為信、浪岡城攻め 津軽平野の中東部に位置する青森県青森市浪岡。その浪岡の一角に浪岡城があったといわれています。
 浪岡城は本丸である内館をはじめ、合計7つの郭に分かれています。内館には、城主の居館が存在したといわれており、現在は北畠古城跡碑が建てられています。浪岡城は1460年代に北畠氏によって築城されました。北畠氏は南北朝時代に後醍醐天皇を助けた鎮守府将軍・北畠顕家(あきいえ)の子孫であると伝えられています。
 天正6年(1578)7月、大浦為信は浪岡城主である北畠顕村(あきむら)を討ち取ります。当時、北館は屋敷町のように規則的に区画されていました。現在は板塀で再現されており案内板によって説明されています。それは迷路状の道となっており、内館までの通路をわかりにくくしたといわれています。一つの区間には、地面に掘った穴に柱を直接埋めて建てる「掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)」と呼ばれる大きな建物が1軒。地面を掘り下げて地下に床を作る「竪穴建物(たてあなたてもの)」と呼ばれる小さな建物が数軒。深さ4〜5mほどの井戸が1つあったそうです。石垣や天守閣ができ上がる以前から城の中心を守る工夫がされていたことがよく分かります。
 浪岡城の廃城から約400年。一部は畑や水田として使われています。浪岡城は当時の歴史の空気を感じさせる貴重な遺跡なのです。
(金さん)

〈参考文献〉つがるの夜明け
      青森県の歴史
      青森市役所ホームページ
      浪岡城跡 北館 案内板







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コラム 浪岡城

 浪岡城は1460年代に浪岡北畠氏によってつくられました。 しかし、1562年におきた親族間での争いにより勢力が衰え、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城してしまいます。以後、約400年、城跡は畑や水田として使われてきました。 現在、発掘調査が進められており、食器や調理器具・武器類・農耕具・日用品・宗教用具・建築関係用品など様々なものが4万点以上も見つかりました。
 調査は未だ完了しておらず、多くの建物跡や遺物が、これから見つかる可能性が高いと思われます。(アラン・スミシー)

参考文献 津軽の夜明け 青森県の歴史

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