津軽篇・安土桃山時代/第12話

 青森県と秋田県の県境にある平川市。この一角に大光寺という地名があり、かつて大光寺城があった場所であるといわれています。大光寺城は鎌倉時代に曽我氏が支配し、その後、安藤氏や南部氏が入りました。津軽三大名城の一つとされています。
 かつて大光寺城の大手門があった場所には石碑が建っています。石碑には「大光寺城大手門跡」と記されており、大光寺の正門であったことが分かります。現在、大手門は弘前城北の亀甲門に姿を変え、国の重要文化財に指定されています。
 大光寺城跡から南に進むと県境のまち・碇ヶ関に「弘前藩の表玄関」が再現されている場所があります。関所に出入りするための門として高麗門がありました。これは「碇ヶ関御関所」といわれ、天正14年(1586)、津軽為信によって作られたものです。大屋根と直角に小屋根をかけ、扉を雨から防ぐようになっているのが特徴です。
 関所の主体は面番所にあったといわれています。関所資料館では当時の取り調べの様子を再現しています。上番所、下番所、座敷、女改めと呼ばれる各部屋には、それぞれ役目の者が控えて、取り調べや料金徴収、記録などを分担しながら事務を行っていました。
 資料館内には藩政時代の武具・古文書などを展示しており、模型によって当時の街並が分かるようになっています。平川市は津軽統一を目指した大浦為信の軌跡が残っている場所だといえるでしょう。(金さん)

〈参考文献〉新青森市史資料編2/古代・中世







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コラム 乳井館

 乳井城の近くにある、乳井古館。この山城の規模は東西150m×300mほど。城縄張りは頂部に構築された主郭部を中心に、周囲に郭を敷設していたと思われます。頂部に構築された主郭部は東西80m×南北120mほど、内部は堀で仕切られた南・北の二郭からなり、優位性に勝る南側の平場が主郭と想定されます。  現在、主郭部には愛宕社(あたご)と祀られ、公園として整備されています。
 乳井古舘内には、乳井神社があり、坂上田村麻呂が津軽に7社建立した内の1つで毘沙門天が勧請され武器が納められたと伝えられています。その他に板碑群や、乳井神社の五輪塔など、中世からの神仏混合の名残が多く見られ何れも弘前市指定有形文化財に指定されています。(サト)

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