津軽篇・安土桃山時代/第10話

大浦為信、石川城攻め 弘前市・大仏公園。ここは大浦為信が攻略した城のひとつ、石川城があったとされる場所です。石川城は別名を「大仏ヶ鼻城」といいます。「寝ている大仏様の鼻に似ているから」という言い伝えから由来しているそうです。現在は大仏公園の名で親しまれています。
 石川城は津軽における南部氏の拠点であり、南部高信が居城としていました。津軽統一を目指して決起した大浦為信は、まず第一歩として石川城を落とそうと考えました。元亀2年、堀越城に兵を集めた為信は謀略により南部勢を油断させ、わずか八十あまりの兵を率いて奇襲し城を落としたといわれています。
 現在、石川城は公園として整備が進み、周囲はりんご畑になっております。春にはソメイヨシノ、初夏には園内一帯に植えられたアジサイが、見事な花を咲かせることでも知られています。
 公園ながら起伏に富んだ地形は、いかにも戦国時代の城といった面影があります。丘全体が公園となっており、起伏のある園内には石川三十三観音と呼ばれる33体の石仏が祀られています。
 石川城址には、弘前城へ続く抜け道と思われる洞窟があり、敵を迎え撃つために掘られたともいわれています。為信もこの洞窟を通ったのかもしれません。
 戦国時代、石川城を討伐した為信は弘前に城を築き、現在の街の繁栄の礎としました。そして、弘前城に拠点を移したため、石川城は廃城となっていくのです。(サト)

〈参考文献〉新青森市史資料編2/古代・中世







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コラム 石川城

 13の城館は、石川十三楯とも呼ばれ、大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館から構成されています。  石川高信が倒れた後、石川城は津軽氏の所有となり、津軽家臣である板垣将兼が守ることになりました。そして、慶長16年(1611年)、弘前城築城に伴い、石川城は廃城となりました。(アラン・スミシー)

参考文献 新青森市史 資料編2 古代・中世

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