南部篇・明治以降/第34話

廃藩置県で盛岡藩消滅 秋田県大館市、大館市役所のすぐ近くに桂城公園があります。ここにはかつて、大館城がありました。大館城は天正10年(1582)以前に出羽国の豪族・浅利勝頼により築城されたといわれています。
 慶応4年(1868)、戊辰戦争が開戦すると、大館城も戦場となりました。8月20日、盛岡藩隊は扇田村(現・秋田県大館市比内町扇田)を占領し、全村に火をつけて焼き払いました。このため、秋田藩隊は大館城周辺に布陣を置き、戦に備えました。同年、8月22日に一発の大砲とともに戦闘が開始されました。盛岡藩の攻撃により、秋田藩隊は大館城に籠城しましたが、最後は自らの手で城に火をつけ、撤退しました。
 桂城公園の近くには、扇田神明社があります。扇田神明社は、長治2年(1105)に創建されました。天正3年(1575)に、長岡城主・浅利勝頼が、現在の位置に社殿を移築した後といわれています。社殿は戊辰戦争により焼失しましたが、明治7年(1874)、佐竹義遵と茂木知端によって再建されました。境内には、戊辰戦争で戦死した佐竹兵2名の墓と、戦闘の際打ち込れた弾玉が入ったままになっている杉の老木があります。また、浅利氏の祈願所であった証としての、両刃の短刀が奉納されています。
 戊辰戦争によって大勢の人が犠牲となり、町や村が戦火に巻き込まれました。現代の平和と繁栄は、そうした歴史の上に築かれているのです。(メガネ)

〈参考文献〉野辺地町史 第1巻
      秋田藩大館諸兵戊辰戦争記録







より大きな地図で 青森歴史街道探訪 南部編MAP を表示

ページのトップへもどる

動画

ページのトップへもどる

コラム

 

ページのトップへもどる