南部篇・江戸時代/第30話

日本有数の良馬、南部馬を産出 青森県三戸町。南部地方は古来より馬産地として有名です。江戸時代、盛岡藩では南部九牧(くまき)と呼ばれる藩営牧場を開き、馬産に積極的に取り組みます。1184年の宇治川の戦いで先陣を争った源頼朝の馬、磨墨(するすみ)と池月(いけづき)は三戸産と七戸産であったともいわれています。
 三戸町にある馬暦神社には、江戸時代中期に亡くなった1頭の馬を偲び、建てられた唐馬の碑があります。享保10年(1725)8代将軍・徳川吉宗はオランダから輸入した春砂(はるしゃ)と名付けられた名馬を、盛岡藩に送りました。「春砂」とはペルシャのことです。藩は春砂を住谷野で放牧し、馬の体格を大型化するための種馬として改良を図りますが、9歳で亡くなってしまいます。寛保3年(1743)、石井玉葉が春砂の埋葬地に供養碑を建立し、馬頭観音尊を祀ったのが馬暦神社の起源となっています。唐馬の碑は、外国産馬に関しての貴重な資料として県の文化財に指定されています。
 道の駅しちのへにある絵馬館では、見町観音堂と小田子不動堂に奉納された絵馬を見ることができます。絵馬とは、当時の人々が祈りや願いを込めて奉納した、絵が描かれた木の板のことです。ここに展示されている絵馬は、南部小絵馬と呼ばれています。これらは、南部地方の庶民信仰を知るうえで質、量ともに優れており、国の重要有形民俗文化財に指定されています。馬に対する愛着は信仰と結びつき、格調高い絵馬が残されています。
 馬と共に生活してきた農民が馬を尊び、良馬産出を願う心が窺えます。(芳賀)

〈参考文献〉三戸郷土史  三戸町史/上巻・中巻
      図説 三戸・八戸の歴史
      青森県の歴史シリーズ








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