南部篇・江戸時代/第29話

盛岡藩最大の鉱山 尾去沢鉱山 秋田県鹿角市、ここには日本最大規模とされる尾去沢鉱山があります。歴史は非常に古く、最初の発見は奈良時代の和銅元年(708)だったと伝えられています。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉が奥州仕置を行い、鹿角地方は南部領に組み込まれ、尾去沢鉱山も南部氏のものとなりました。江戸時代に入ると、盛岡藩の金山奉行が置かれ、金・銀・銅などの鉱石を大量に産出し、繁栄していきました。
 江戸時代以降、銅の産出が次第に増加していき、1688年から1704年の元禄年間が最高頂に達しました。尾去沢鉱山で採れた銅鉱石は山元で粗錬され、盛岡藩の粗銅となり、牛を使い陸路で青森県の野辺地港に集積されました。集積された粗銅は幕府の雇船により大阪に廻送し、大阪で精錬され、輸出のため長崎に送られました。外国との貿易に使用されたのです。
 野辺地港は、盛岡藩の日本海航路への窓口として賑わいました。野辺地港の常夜燈は、夜間は魚油・菜種油を燃料とし、毎夜目印の灯火を照らしていました。常夜灯は石で造られており、現存する石の常夜燈の中では日本最古とされ、町指定文化財となっています。
 尾去沢鉱山は昭和53年(1978)に鉱量の枯渇により閉山となりましたが、その4年後には観光坑道として生まれ変わります。平成19年(2007)には近代化産業遺産認定となり、今に至っています。現在は砂金採りや天然石堀りの体験ができ、鉱石が確かにここにあったことを伝えています。(メガネ)

〈参考文献〉鉱山と鉱山集落
      野辺地町史 第1巻








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