南部篇・安土桃山時代/第19話

南部信直の一生 三戸南部氏26代当主・南部信直は、天文15年(1546)、22代当主・南部政康の次男・石川高信の庶長子(側室の子)として岩手郡一方井で誕生します。やがて、三戸南部氏24代当主・南部晴政の長女の婿となり、養子として三戸城に迎えられますが、晴政の子・晴継の誕生後、田子城へと戻ります。
 天正10年(1582)、晴政が亡くなり晴継が25代当主となりますが、同年、謎の暴漢集団により暗殺されます。晴継の跡継ぎとして、一族の九戸政実の弟・実親を推す意見を抑え、南長義や北信愛、八戸政栄らの支持を集めた信直が26代当主を継承します。これに政実が憤り、一族に不穏な状態が続きます。
 天正15年(1587)、勢力の拡大を図る信直は、北信愛を代理にたて、加賀の前田利家に対し、豊臣政権下に従うことを告げます。その3年後、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した信直は所領を安堵されます。翌年に九戸政実が起こした反乱では九戸軍を鎮圧し、政実や実親らを処刑させて、当主としての地位を揺るぎないものにしました。このとき、蒲生氏郷から九戸軍の居城・九戸城を譲られ、福岡城と名付けて新たな拠点としました。
 天正20年(1592)の朝鮮出兵では秀吉に従い肥前名護屋城に参陣するも、朝鮮には渡らず帰国。その後、信直は福岡城からの移転と盛岡での築城を決意しますが、慶長4年(1598)盛岡城の完成を見ることなく、信直は福岡城で亡くなります。南部町の三光寺では信直夫妻の墓をみることができます。信直の跡を継いだ長男・利直は盛岡藩主となり、その血統は受け継がれていきます。(芳賀)

〈参考文献〉根城ものがたり
      根城跡 陸奥の戦国大名 南部氏の本拠地
      歴史と伝説 南部昔語
      歴史と伝説 はちのへ物語






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