南部篇・安土桃山時代/第17話

田子城 田子町の中心街を望む高台に、町立田子中学校があります。そこはかつての田子城でした。三戸南部氏26代当主・南部信直の居城として知られています。三戸南部氏が糠部郡に入部した際、家臣だった在地勢力の佐々木氏が築城したとされています。
 田子城は、人工的に作られた堀によって牛尾館と佐々木館の2つの郭からなり、北は自然の堀である田子川、南は斜面が急で険しい丘で守られた要害です。堀によって二分された牛尾館と、本丸に相当する大館と小館に分かれています。天正期、牛尾館には信直が、佐々木館には佐々木惣左衛門が居住していたとされています。
 現在、中学校の敷地になっている牛尾舘は、大館と小館に分かれる谷が埋められてグランドとなり、わずかに牛尾館と佐々木館の間の堀跡が残っているのみです。詳しい廃城時期は不明ですが、南部信直が南部本家の家督を継承して三戸城へ移った頃といわれています。
 信直は田子城主・南部高信の長男として誕生しますが、子に恵まれなかった三戸南部氏24代当主・晴政の養子となります。ところが、晴政に世継ぎの男児・晴継が誕生したので信直は跡継ぎを辞退し田子城へ戻ります。しかし、25代となった晴継は暗殺され、本家の当主が不在の事態となりました。一族の会議で後継は改めて田子城主となっていた信直と決まりましたが、これを不服とした有力一族の九戸政実が信直と対立し、一族を二分する内乱となります。さらには、当時の関白・豊臣秀吉と日本中の大名を巻き込んだ「九戸政実の乱」へと発展していくのです。(サト)

〈参考文献〉田子町史 上巻
      南部町史







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