津軽篇・安土桃山時代/第15話

三戸城 —城山公園— 三戸町にある城山公園は、中世戦国期の南部氏本家の居城・三戸城があった場所です。
 南部氏は甲斐源氏の一族で、当初は現在の山梨県南部町周辺を領していましたが、奥州合戦の功により青森県から岩手県にかけての糠部郡一帯を与えられました。糠部郡に入部した三戸南部氏は、室町中期以降、聖寿寺館を本拠地に勢力を拡大し、領内を統治してきました。ところが、天文8年(1539)南部氏24代当主・南部晴政に謀反を企てた家臣・赤沼備中に放火され焼失する事件が起きます。南部氏は、この火災の後「留ヶ崎」と呼ばれていた現在の場所に、新たに三戸城を築いて移ったとされています。三戸城築城とともに聖寿寺館は「本三戸城」と呼ばれるようになりました。
 南部藩南部家の始祖・南部三郎光行を祀る糠部神社総代の主唱により、歴史資料収蔵のために建設されたのが、三戸城温故館です。三戸城の角櫓を模した鉄筋コンクリート造り、外見3階、内部4階建の建物で、南部藩主、家臣の武具、装束、古文書などが展示されています。平成元年には綱御門が復元されるなど、城山公園として整備されています。また、遺構として搦手門が法泉寺の山門として、表門が龍川寺の山門として、代官所門が観福寺の山門として、それぞれ移築されています
 城山公園は県立公園として、地域の人々にとって憩いの場として親しまれています。
(サト)

〈参考文献〉三戸城
      南部利康霊屋 —南部氏と三戸—
      物語 南部の歴史







より大きな地図で 青森歴史街道探訪 南部編MAP を表示


より大きな地図で 青森歴史街道探訪 南部編MAP を表示


より大きな地図で 青森歴史街道探訪 南部編MAP を表示


より大きな地図で 青森歴史街道探訪 南部編MAP を表示

ページのトップへもどる

動画

ページのトップへもどる

コラム

 

ページのトップへもどる