南部篇・室町時代/第13話

南部長経と秋田安藤氏の戦い 八戸市にある松館大慈寺は、根城南部氏の菩提寺として、応永18年(1411)宝山正弥(ほうざんしょうちん)和尚が開山したといわれています。大慈寺開山に至る経緯は、安藤氏側の史料には書かれてません。そこで、南部側の史料からひも解いてみます。
 応永17年(1410)、秋田の領土侵攻に対抗するため、南部守行は根城南部の南部長経(ながつね)の弟・光経に、秋田との戦の先陣を要請します。しかし、秋田勢の抵抗の前に苦戦を強いられます。光経は、この状況を打開するために、月山(がっさん)の神へ戦勝を祈願しました。すると、光経と3人の家臣が同じ夢を見ます。その夢とは次のようなものでした。
 光経の陣の上を2羽の鶴が飛んでいきます。そして、その彼方から、9つの星が光経のお膳に落ちます。光経はその星を取り懐に入れる、というものでした。
 この夢を吉兆と捉えた光経勢の士気は高まり、いよいよ秋田軍に攻め込もうとした時に現れた僧が、宝山正弥和尚です。和尚は、光経にこう進言します。
 「秋田軍は、要所に伏兵を忍ばせている」
 この情報を得た光経は、無事秋田軍を攻略することができました。長経と光経は、和尚の功労に報い、寄進することにした寺が大慈寺でした。
 以上が南部側史料によった物語になるのですが、異説もあり、真相に近づくためには、安藤側の史料の発見が期待されます。
(アラン・スミシー)

〈参考文献〉みちのく南部八百年
      津軽秋田 安東一族
      秋田「安東氏」研究ノート
      八戸根城と南部家文書







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