津軽篇・南北朝時代/第11話

七戸城 国指定史跡の七戸城(別名・柏葉城)は、七戸南部氏の中世城跡です。城跡から東にある青岩寺の山門は、七戸城の城門を移築したもので、町指定有形文化財に指定されています。これは、七戸城の建築物では唯一の遺構です。築城については明らかにされていませんが、南部師行の弟・南部政長が南北朝時代に築いたのが始まりともいわれています。鎌倉攻めに功を立てたことにより、当地を与えられたといいます。以後、七戸城は南部氏の居城として維持され、七戸南部氏による周辺地域の支配が確立しました。
 天正19年(1591)、城主・七戸家国が九戸政実の乱に加担したことから、奥州再仕置軍の上杉景勝から攻撃を受けて廃城となります。その後は代官所や藩庁が置かれるなど、南部藩の拠点として機能していました。
 かつて本丸があった場所には神明宮があります。神明宮は、應永3年(1396)、根城南部8代藩主・政光の勧請により創建されました。江戸時代には遠野南部氏の祈願所として尊信厚く、社殿の造営、修繕が行われており、人馬等の諸費が寄進されたと伝えられています。現在も「しんめいさま」として町民や崇敬者に親しまれています。
 七戸城の東門をくぐり、進んでいくと姫塚があります。七戸城には美しい姫様がおり、身分の低い武士と恋仲の関係になりますが、殿様に知られ、その武士は殺されてしまいます。姫様は悲しみ、後を追って自害したという伝説があります。この塚は、「あの世では一緒にいられるように」という思いで埋葬されたものだといわれています。(金さん)

〈参考文献〉七戸町史1  七戸町史2
      みちのく南部八百年  神明宮案内板
      南部大膳大夫分国之内諸城破却書上







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