津軽篇・南北朝時代/第9話

後醍醐天皇と南部師行 南部師行が築城したと伝えられている根城の跡地は「史跡根城の広場」公園に姿を変えています。南部師行がこの地に根城を築城した所以を追ってみましょう。
 元弘3年(1333)、足利高氏や新田義貞の活躍もあり、北条氏率いる鎌倉幕府は後醍醐天皇によって滅ぼされました。しかし、北条家を支持する全ての残党がいなくなったわけではなく、東北地方にはまだ多くの残党が残っていました。そこで後醍醐天皇は、皇子義良親王(のちの後村上天皇)を陸奥に遣わし、さらにその補佐役として、北畠顕家を陸奥守に任命しました。この奥州統治に参加することになった者の中に南部師行がいました。
 奥州の広大な土地までは、遠く離れた国府からは目が行き届かないため、師行が北奥羽地方の統治を任されることになりました。そして、元弘4年(1334)、師行は北奥羽地方を本拠地とするため、八戸に根城を築城しました。根城という名称は「天皇に従わない者を討伐するための根の城」という北畠顕家から南部師行への言葉が由来とされています。師行は根城で国代として活躍し、北条残党と安藤一族が結託して争った際も見事に攻略しています。
 甲州の地頭から始まり、北奥羽統治を担うまでになった南部師行は、見事にその重責を果たしていました。(アラン・スミシー)

〈参考文献〉青森県史 資料編 中世1
      みちのく南部八百年
      後醍醐天皇
      後醍醐天皇のすべて






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