津軽篇・南北朝時代/第8話

根城南部氏の出自 八戸における南部氏の歴史は、建武元年(1334)甲州から渡ってきた南部師行が根城を築いた時から始まります。
 東北の広大な土地を治めていた南部氏には多くの氏族がありますが、大きく二つの系統に分かれています。ひとつは南部氏の本家とされる三戸南部氏、後の盛岡南部氏。もうひとつの大きな系統が、八戸に根城を築いた根城南部氏、後の遠野南部氏です。三戸南部氏と根城南部氏は、各々が領地を持ちながら統治していました。
鎌倉幕府滅亡後、朝廷が南北2つに分裂し、南北朝時代が始まります。根城南部氏は北奥羽唯一の南朝方として八戸を中心にその所領を拡げ、勢力を拡大していきます。一方の三戸南部氏は北朝方を支持していましたが、同じ一族ということもあり、三戸南部家と争うことはありませんでした。師行は南朝方の有力武将として各地に出向きますが、延元3年(1338)、京都の石津の戦いで高師直軍に敗れ戦死しました。子孫には南朝方への忠節を尽くすよう遺言したと伝えられています。その後、南北朝が統一され戦乱が収まると、根城南部氏は三戸南部氏を本家と仰ぎ、行動を共にするようになります。
 その約200年後、南部氏26代当主・信直が豊臣秀吉から所領安堵の朱印状を受けると、根城南部氏は三戸南部氏の家臣の立場に置かれるようになりました。江戸時代、三戸南部氏は盛岡に移って盛岡南部氏となり、領内の家臣の配置を見直すなど、新しい支配体制をしくことになりました。根城南部氏も寛永4年(1627)、国境警備を理由に岩手県遠野へと移されます。こうして根城南部氏は遠野南部氏と呼ばれるようになります。(芳賀)

〈参考文献〉南部昔語  南部地方史話 八戸藩
      物語 南部の歴史/中世編
      青森県史資料編/中世1 南部氏関係資料






ページのトップへもどる

動画

ページのトップへもどる

コラム

 

ページのトップへもどる