津軽篇・平安時代/第5話

源義経伝説 鎌倉幕府の正史とされる「吾妻鏡」によると、義経は兄・源頼朝に追われ、平泉へ逃れましたが、高舘にあった持仏堂で悲運の最期を遂げたとされています。しかし、亡くなったのは影武者で、義経は密かに平泉から逃れ、北へ向かい、大陸へ渡ったとされる「源義経北行伝説」があります。
 義経一行は平泉から宮古へ。そして、三陸沿岸を北上し、八戸の種差海岸に上陸したと伝えられています。そして、高舘に居を構えます。高舘山の小田八幡宮には、義経が写経したといわれる大般若経が保存されているほか、義経が京都から持参した毘沙門天を安置するために毘沙門堂を建てたと伝えられています。また、同行していた義経の正妻・北の方が亡くなった場所には、おがみ神社が建てられ、北の方が使用していたとされる手鏡が残されているほか、義経北行伝説を記した「類家稲荷大明神縁起」が伝えられています。
 八戸を後にした義経一行は青森市野内へ。野内の貴船神社にも言い伝えが残っています。義経を慕って河内の国から追いかけてきた浄瑠璃姫はこの地で義経と再会を果たします。
 義経一行は蝦夷へ向かうため三厩へさしかかりますが、大時化のため足止めされてしまいます。義経は母からもらった正観音像に三日三晩祈り続けると、満願の朝、白髪の翁が現れ3頭の白い竜馬を授けます。波風も治まり、義経はその竜馬に乗って海を渡ります。これが三厩、厩石の起源になったと義経寺に伝えられています。そして、蝦夷から大陸へと渡り、チンギス・ハーンになったという伝説へとつながります。(haru)

〈参考文献〉義経北行








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