津軽篇・平安時代/第4話

恐山 青森県むつ市にある恐山。実際には恐山という山はなく、釜臥山をはじめとする外輪山に囲まれた宇曽利山湖一帯を総称して恐山と呼ばれています。
 恐山菩提寺は、貞観4年(862)慈覚大師円仁によって開かれましたが、北部王家の実権を握る蛎崎蔵人と根城南部氏13代当主・政経との間で行われた蛎崎の乱の際、焼き払われ廃寺となりますが、根城南部氏の援助により、円通寺の宏智聚覚(わんちじゅがく)が再興したと記されています。
 むつ市史によれば、これらの記述は後世に書かれたものであることから、恐山の由緒は明確には特定できていません。なぜ、恐山は時代を越え、現在に至るまで霊場として存在しえたのでしょうか。
 恐山は、死と深く関わる場所です。それも、自分の死ではなく、自分と強く結びついた者の死が対象です。人の死は遺された者の心に大きくのしかかります。感情は大きく揺さぶられ、耐えられないこともあるでしょう。そのような人たちに寄り添う場所。または、死者へ懺悔、悔恨、哀惜の情を受け止め、個人には重たすぎる現実を置いていける場所として存在するのが恐山ではないでしょうか。東日本大震災以降、多くの被災者が恐山を訪れているようです。
 恐山が時代を越えて現代まで信仰されるのは「生と死」が人間にとって普遍的な課題であり続けることの証明なのかもしれません。
(アラン・スミシー)

〈参考文献〉青森県の歴史散歩
      むつ市史/民俗編
      恐山 死者のいる場所
      禅の風 第四十号








より大きな地図で 青森歴史街道探訪 南部編MAP を表示

ページのトップへもどる

動画

ページのトップへもどる

コラム

 

ページのトップへもどる