南部篇・平安時代/第1話

十和田神社 十和田神社は、南部藩が藩費で維持管理を行っていたなど藩との結びつきが強かった神社です。現在は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っていますが、もとは十和田山青竜権現を祀っていました。
 十和田神社の創建は大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東夷東征に際して日本武尊を祭神にしたのがはじまりとされていますが、創建に関するもう一つの言い伝えがあります。
 平安時代、南祖坊(なんそのぼう)という僧侶がいました。彼は熊野権現のお告げによって、諸国で修業をしていました。お告げとは「旅の途中、鉄の草鞋の緒が切れ、錫杖(しゃくじょう)が折れた場所が、あなたの永住の地になる」というものでした。そして、十和田湖に差し掛かった時、ついにそれが起こりました。しかし、十和田湖の主としては、すでに八の太郎という大蛇がおり、南祖坊が十和田湖を住処とするためには、これと戦わなければなりませんでした。何日もの戦いの末、南祖坊は、八の太郎を追い出しました。
 戦いが終わり、南祖坊が神仏への祈りを捧げていると、雲の上に童子が現れます。童子は「我こそは熊野山の使なり」と言い、姿を消しました。そして、松の木の上に『十和田山正一位青竜権現』の文字が映し出されたそうです。南祖坊は湖に身を沈め、十和田山青竜権現として、人々からあがめられるようになりました。(アラン・スミシー)

〈参考文献〉青森県歴史散歩
      十和田市史 下巻
      水神竜神十和田信仰
      青森県の民間信仰
      十和田湖伝説 八の太郎と南祖之坊








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