円空について

■円空とは

 円空は、江戸時代前期の臨済宗の僧で、全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られています。生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5300体以上の像が発見されており、それらは、北は北海道や青森県、南は三重県や奈良県にまで及んでいます。作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっていて、木の形や質感を活かした素朴な造形に加え、慈愛に満ちた優しい「微笑」の表情から、癒し系の仏像として根強い人気を誇ります。

 

■青森県と円空

 円空は、1632(寛永9)年、美濃国(現在の岐阜県)に生まれ30歳を過ぎて故郷を去り全国各地へ作仏行脚の旅に出ています。旅の足跡は各地に残されていますが、その旅の初めが東北・北海道だったことは、あまり知られていません。岐阜県美並村の根付神明神社には1663(寛文3)年に円空が造った神仏像が残っていますが、この史料の次に、円空の足跡を示す史料が弘前市で見つかっています。

 弘前市立図書館に所蔵されている『弘前藩庁御国日記』の寛文6年1月29日条に、

『円空ト申旅僧壱人長町ニ罷有候処ニ、御国ニ指置申間敷由被仰出候ニ付而、其段申渡候所、今廿六日ニ罷出、青森ヘ罷越、松前ヘ参由』

と記されており、この史料によって、寛文6年1月頃に、円空が弘前城下にいたことがわかります。また、藩命により弘前を追い出され、青森へ向かい、さらに松前(北海道)へ向かったことも記されています。弘前を去った円空は、松前から釧路さらに礼文島まで足を延ばし、1年余りを経て再び津軽へ帰ってきます。外ヶ浜町三厩の義経寺にある円空仏の背面には、寛文7年夏の銘文が書かれています。渡道の前か後かは不明ですが、下北半島にも滞在し、その後、津軽を南下し、秋田領に去って行ったと考えられています。青森県内には17体の円空仏が確認されており、それぞれ県や各自治体の文化財に指定されています。

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